「ま、いいか!」くらいがちょうどいい

イギリス・レスターから帰国。シェアハウスでの暮らしの中から、日々の暮らし、ファンドレイジング、自身のHSPのこと、そして大好きなイギリスのことも引き続き書いていきます。

ブログを再開して書きたかった私の社会人らいふであったこと①はじまりとできごと編

*めも:最初にこの記事を書いたのは6月12日で、その後編集したりなんだり、公開が19日なってしまいました。

今日も朝から雨。7月に入ってから寒くて雨の日ばかり。過ごしやすいけど、どうやらこんなに梅雨寒なのはとても珍しいらしい。そんな天気もあるし、仕事を辞めてからなんかどことなく不調な毎日。社会人になってから仕事を辞めるといつも「今回もうまくいかなかったのかな」という思いが巡る。社会人になって5つ目の仕事を辞めたことになる・・・。数じゃないけど、多いのか、少ないのか。

でも今回ブログを再開しようと思ったのは、そんな自分の過去を少しだけ振り返ることができるようになって、後ろ向きでなく、ちょっと前向きになった分、そのことを書いてみようと思ったから。グチでも何かを責める訳でなく、ありのままに書いてみたいと思う。私もこれまでいろんな人のブログを読んで安心したこともあったし、「あぁこんな人もいるんだなぁ」程度に思ってもらえたらというちょっとした想いも込めて。

 

*今回書くことは具体的な名称などは書きません。また、書いていることもあくまで私の視点であることをご了承のうえ、ご覧ください。

 

●社会人のはじまり。

大学というものを出てから1年、ちょっと遅れていわゆる私の「社会人」と言われる時代は始まったのでした。当時、趣味なんてなかった私が興味を持ったのは、「途上国」とか「先進国」って言葉ではない、上とか下とかの関係なく、いろんな人がつながれる世界。それで、国際協力の世界を志したのでした。

 

いわゆる「新卒」での応募は当時ほとんどなくて、「社会経験3年」と書かれた応募要項が多かったその頃。ダメ元でいろんなところへ応募書類を出し、やっと就いた業務のはじまりは経理を中心としたいわゆるバックオフィスの業務でした。

 

経理も労務も学んだことがないし、私が選んだNGOと言われる世界は「新人研修」もない。全部一から自ら学んで行くしかなかったけれど、何もかもが新鮮だった頃。

本当は「現場」と言われる(あまり好きな言い方ではないけど)貧しい人たちの国で最初は働きたかったけど、経理も労務も初めてみるとパズルみたいで面白く、自分の団体内で何か新しいことをしようとした時にまずは資金がないとやりようもないし、団体の掲げるミッションを叶えるためには「計画」が必要なことを理解し始めた頃、この事務方の業務により一層興味を持つようになっていきました。

 

●「社会人って大変だなぁ」っと最初に思ったときのこと

そんな業務をしていたある日、労務の手続きで外に出て帰ってきて、続きの仕事をしようと椅子に座って仕事を始めてみたら、「あれ、2色ボールペンの黒を押したら赤が出て、赤を押したら黒!、なんで?」と気づき、「自分バタバタしながら、変なことしたんだろう」と最初は思っていました。

しかし、おんなじように外に出て帰ってくるたび、椅子のネジが外れていたり、作りかけのパソコンデータが無くなってたり。

「これはおかしいぞ〜!」って気づきました。

当時私の部署は私ともう一人しかいなくて、その人はなぜだか仕事を割り振ってもしてくれず、朝早く来ては何かパソコンで見ていて、事実上私一人でいわゆる「事務仕事」を全て担っているような状態でした。

 

それからしばらくして、いわゆる「上司」という人が初めて私にできました。「これでいろんなことがうまく行く気がする」そう思ったのもつかの間。その人と話す機会があったときにが言われた一言は今でも忘れられません。

「なんとか仲良くやってね。せっかくいい仕事に私はついたんだから。警察沙汰にならない程度で、よろしく頼むよ。」

あぁ、こりゃダメだ!

言い方はよくないけど、国際協力って、誰かが誰かのために、誰かと誰かが力を合わせてする世界だと思ってたけど、結構大変なんだなぁ!そう思った瞬間でした。

それでも、親の「石の上にも三年」の言葉通り、3年間、往復6時間の通勤時間でその団体で働き、私は転職したのでした。

 

●その後も結局なんでか人間関係がうまくいかない!

今も言われるけど、当時特に言われたのは「そんなに一生懸命やらなくても」とか、「全く大真面目なんだから、周りは大変だよ」という言葉。

自分でもなんとなくわかっていても、仕事はいっぱいあるし、「加減」がわからないのが自分の悪いところ?いいところ?

その団体が目指す世界には共感し、仕事内容もどの団体も好きだったけれど、結局は人間関係だったり、仕事の多さや偏りだったりで、どうしてもうまくいかず。

結局最初の団体を入れて5つの団体を経験して、退職する時に次を決めず「一度考え直してみよう」と思ったこともあったけど、結局おんなじ世界の戻って来ていたのだった。なんだかんだいまでも記憶に残ることはいろいろあった。

  • 「明日から20日くらい休むから、後仕事お願いね」と言って、小さな団体で私以外の常勤職員(複数)が突然休んだり、(残念ながら有給の規程が当時その団体にはなかった)
  • 出勤すると私以外の職員がケンカしてマグカップが飛び交ってるのが日常
  • 「一生懸命やる気がない」と言って仕事を見てくれなかったり
  • ひたすら無視!     とか・・・いろいろあったね。

団体の状況をなんとかしたくて、組織改善みたいな研修に行ってみると、「団体名」と「肩書き」を自己紹介させられて、多くの参加者が団体からきているのに、自分は個人参加だったのも、当時はなんだかとても辛かった。

せっかく学んで、勤務先に持っていっても、聞いてもらえたこともあまり無かったですね。

 

自分で選んだ仕事。

自分の夢だった仕事だし、文句は言えない。

せっかくの仕事だから少なくとも3年は頑張ろう! そんなことを最初は思って頑張れていたけれど、仕事を変えても変えても変えてもうまくいかない毎日。

だんだん自分でそう縛っているのも辛くて、もうどうもこうもならなくなっていました。

 

そんなある日でした。いまでも忘れないできごと。

朝電車に普通に乗って、普通に、ぼーっとに立っていた、それだけなのに、たまたま隣にたったおじさんが、突然つり革を持つ私の手を持ってこう言ったんです。

「ねえちゃん、まだ早いよ、そんなん考えちゃだめだ」

思わずおじさんの顔を見ると無言で首を横に振ったのでした。

 

よくわからないけど、朝の満員電車で何かがあふれたような私は人目をはばからず大泣きしてしまい、見かねた目の前に座ったおじさんが席を譲ってくれ、手を握ってくれたのでした。

 

もう10年以上も前の話。

 

でも、こんな状況ではあったけれど、私が仕事を続けられたこと、続けてきたのには、私の心のよりどころだった人たちがいて、のちにとても大切な業務に出会うきっかけになったんです。

 

それは長くなってきたので、次編へ続きます・・・

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ちょっとブレイク。少し前に作ったイギリスのキャロットケーキ