「ま、いいか!」くらいがちょうどいい

イギリス・レスターから帰国。シェアハウスでの暮らしの中から、日々の暮らし、ファンドレイジング、自身のHSPのこと、そして大好きなイギリスのことも引き続き書いていきます。

2018年スタート、最近思うこと。改めて、「寄付ってなんだろう」

2018年になりました。改めて、明けましておめでとうございます。さて、ブログも今年も少しずつ書いていこうと思っています。よろしくお願いします。新年も明けて、何を書こうかなと思った時、最近よく考えることについて、書いてみようかなと思いました。それが、

 

寄付(支援)って、なんだろう? ファンドレイジングってなんだろう?

 

という、疑問です。改めて、そう思うんですよね。すごく深くて、そう簡単に答えの出るものではないのですが。それはもしかすると、イギリスというファンドレイジングや、寄付が土台にある国で暮らしているからこそ、感じることなのかもしれません。

 

○チャリティショップ

このブログでも何回か登場しますね、私がボランティアを週1回しているところでもあります。改めて、チャリティショップとは、洋服など、もう使わなくなったものをお店に寄付して、それをお店で販売。その収益がお店を経営する団体などで活動資金として使われる、という仕組みですね。

レスターは、大学が多いいわゆる学園都市です。そのため、「チャリティショップが多いから、学生は安く服などが買えて便利ですよ」とよく案内されます。その通り、特に町の中心にはたくさんのチャリティショップがあり、私のボランティアしている団体に至っては、なんとレスターの中心だけで3店舗もあります。

でもちょっと待って。安く買い物できるのはいいけれど、それって、普通の古着屋さんと何が違うの?改めていろんなチャリティショップをまわって見た時、お店にはもちろんお店の名前はありますが、「何の支援団体か」、「売り上げは何に使われるのか」といった記載はあっても小さく、それよりも「SALE 」の文字が目に止まりました。実際に買い物をしても、特に団体についての説明もありません。パンフレットも置いてないところがほとんど。

実際、私の友だちも、私自身も、何か探し物をしていくつもチャリティショップを回っているうち、「掘り出し物」を見つけることがありますが、その時、そのお店が何を支援している団体か、あまり考えていないものであることもまた、事実です。

ある時、私がボランティアをしているお店に、たくさんの洋服を女性が持ってきました。「手放すのは辛いけど、少しでも支援になるなら」と、名残惜しそうにおいて行く女性。しかしお店の職員は、「そこに置いておいて」というだけ。個人情報をもらわないにしても、「ありがとう」もありません。その後、その袋は、作業場所へ持っていかれたのですが、残念ながら状態が悪く、売り物にならないものがほとんど。すぐにゴミ箱行きに。あっという間に「服」から「ゴミ」です。

私はつい女性の気持ちに意識がいってしまい、こういう時、なんとも言えない気持ちになってしまいますが、みんな淡々と作業をこなしていきます。このような中だからか、ちょっと状態が良くて、他よりも値段の良い服ですら、タグがつけられた後、床に置かれる(というか投げられる)状況。そんな状態を見ながら思うのです、「支援ってなんだろう」、「ありがとうってなんだろう」と。

 

○「クリスマス」だから?

クリスマス。そう、誰かを想う素敵なシーズンだなと私も思っていました。しかし、私も気づかなかった、ちょっと落とし穴がありました。

こちらでロンドンのある大きな駅を、クリスマスは列車が止まるので、駅が動かないため、ホームレスに1日シェルターとして開放するというニュースが流れた時、私は「すごくいいニュース」とパートナーに話した時、パートナーはこう言いました。「そう?たった1日だけで、クリスマスが終わったらまた路上に戻るんでしょ?」と。ハッとしました。「親切」のはずが、「迷惑」なのかも。

また、こちらで知り合った友だちと話した時、彼女はこちらでホームレスに「クリスマス」として炊き出しをした話をしてくれました。でも彼女もまた、「クリスマスだからと1日だけ夕飯を出すなんて、ひどい。なんで続けないんだろう」と、言いました。

国際協力の支援でも度々話に上がる、「持続性」について考えてしまいました。

一方クリスマスが過ぎ去った今だからこそ、よく目にする広告の文句が、「クリスマスでもらった気に入らないプレゼント、寄付しませんか?」気持ちは良くわかります。でも、なんかどうも微妙な気持ちになってしまうのです。

 

○人を想う気持ち

と、考えながらも、クリスマスのシーズンに、プレゼントや包み紙、カードを笑顔でだれかのために買い揃えるイギリスの人たちを思い出すと、やっぱり「思いやり」の気持ちはあるんだと、私は想うのです。誰かと誰かがつながって、それに「ありがとう」の気持ちが芽生えて。そんな循環はやっぱりいいなぁと想うのです。でも例えば、「この商品を買うと支援になります」というような商品を買った時、相手から「ありがとう」は聞こえるはずがありません。でも、買った時、なんか嬉しい。となると、必ずしも団体からの「ありがとう」はいらないのかな?う〜ん、難しいです。

 

○寄付する人の想い、受け取る側の想い

そんなことを想いながら、寄付や支援する人がどうして寄付をするのか、また受け取る団体側として、どんな「ありがとう」ができるか、そんなことをもっと学んでみたいと想うようになりました。すぐに答えは出ないと思うけど、少しずつ楽しみながら学んでみたいと思います。

 

○最後に。話題の本

イギリスで最近話題の本を買って読み始めました。全部読めたらまとめてここにも書きたいのですが、「支援する側と受け取る側の関係性」について書かれた本です。この本のファンドレイジングの考え方が最初に書かれているのですが、「団体にとって喜びは1度の寄付の金額が大きいことではない。団体を選んで寄付をしてもらい、その人が喜んで寄付を続けてくれること」と書かれています。また、「支援は喜びとともにあり、支援する人は人だからこそ、”想い”がある。それに寄り添ってこそ」と書かれていました。まだ第1章なのに、嬉しくて泣きそうです。

逆に負の例として書かれていたニュースがあります。(ショッキングですので、ご注意を)

2015年、イギリスで、複数の団体から寄付のお願いの手紙と電話を受けた女性が、自殺してしまったというのです(いくつかの理由があったといわれますが、それでもその中にこの理由が挙げられるそうです)。70年以上にわたって支援を続けていた女性。高齢で断ることができない性格だったそう。いくつかの団体の間で、「お金がある人」として情報が共有されていた事実が明るみになったことも衝撃的なニュースだったそうです。本の中でこのニュースを取り上げ、彼女が「支援者=お金」になってしまったこと、彼女の長年支援を続けていた「想い」が無視されてしまったこと、いくつもの負の部分が指摘されていますが、中でも、電話をかけた団体が「適切だった」とコメントしたことの衝撃が書かれていて、私も驚きと悲しみで、いっぱいになりました。

参考、当時の記事(英語):http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-bristol-35359268

 

長くなってしまいましたが、改めて支援する人の想いに寄り添ったファンドレイジング、もっといろんな人と話してみたいと思いました。どんな風に形にしていこうか、少しずつ考えていきたいと思っています。

本当に最後ですがひとことでだけ。2017年の年末に尊敬する人であり、大切な友だち(そう呼んで欲しいとのことで)であったあの人がこの世を去られたこと。本当にいつも背中を押してくれて、ありがとうございました。「〇〇さんの経験、もっといろんな人に話したらいいよ」そう言ってくださいましたね。大変だったときだったので、すごく嬉しかったのです。これからも、いつでも後ろから笑顔でいてくれる気がしています。数え切れないくらいいただいた言葉を改めて思い返しながら、私なりに歩いていこうと思っています。ありがとうございました!

 

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最後は年越しそば。ありがたいことに、日本のお蕎麦をいただいたので、こちらで買えるネギ、ほうれん草、カニカマをつけてみました。イギリスでも自分の国の文化とこちらで買えるものを合わせての年越し、改めて感謝しました。